戦時下、空白の時期を余儀なくされたとはいえ、ロータリーの火は消えることはなかった。終戦直後の昭和20年9月、いち早く木曜会は復活した。三籐香吉氏、宮崎研一氏、飯義寿氏等の提唱によるものであり、椿牧師を中心に「アメリカの事情をきく会」を持ったのがそのはじまりであり、後これを木曜会と改め、会長は三籐香吉氏とし、阿部会社のご好意によりその会議室の提供をうけ、毎週木曜日に開催することにした。当時はまだ食糧事情悪く、食事なしの例会であった。
木曜会は昭和24年8月19日の再認承までつづいたが、戦前のロータリアン以外の人々も多数加わり、会員数60〜70名位をかぞえ盛会なものであった。これは戦後荒廃した社会情勢の中にあって、木曜会が心のオアシス的な役割を果していたことを物語るものであろう。
昭和21年7月1日、例会場は四国ガス会議室へ移り、会社のご好意により準備された昼食をいただく。但し米は各人持参であった。
昭和24年4月5日、戦後はじめて、京都RCが国際ロータリーへの復帰を認証された。
同年6月9日、スポンサークラブ大阪RCの露口四郎氏を迎え、今治ロータリークラブ復帰準備委員会を開催し、復帰の基礎会員を決定した。
昭和24年1月13日の例会の概要を報告。
10の委員会が記されている。